大人ADHDの診断1 私が精神科に行ったワケ
もともとは受ける気など全くなかったADHDの診断。
私が初めて心療内科を訪れたのは
ADHDの相談しようと思って
行ったわけではなかったんだ。
6年前、職場の人間関係がうまくいかず
鬱状態になって
長男の産休、育休に入ってからも
毎朝
目が覚めると同時に
大きな不安の塊がやってきていた日々。
2年後に次男が生まれて
次男が一歳にならないうちから
彼を抱っこ紐で抱え
自閉のある長男の療育に駆け回った。
というか
次男が生まれる前に
産後も通えるよう
妊婦のうちに手を尽くしていたんだ。
駆け回った、というのは
文字通り
いい、と聞くところには
手当たり次第に足を運んでいたから。
療育の親の会
自閉症親の会
NPOの療育
保健所の遊び方教室
大学病院に
ポーテージやら
音楽療法やら
ありとあらゆるところに足を運んだ。
東京で療育について本を出版されている方のお話会があると聞き
藁にもすがる思いで
まだまだ慣れない環境にパニックを起こすことが多かった長男を連れ
参加したこともある。
私のスケジュールのほとんどが
長男の療育の予定で埋め尽くされたいた。
その他に
家事が苦手な私は
それでもなんとかやっていこうと
料理本を買いあさり
レシピノートを作り
どうやったら旦那がおいしいと言ってくれるのか
そればかりを気にしていた。
片付けの能力が欠如している私が
神経質なほどに雑巾をかけ
長男の離乳食には
市販のものは全く使わなかった。
計算もできないのに
必死に家計簿をつけていた。
もちろんそういったことが悪いわけでは全くないが
私の場合
一種のヒステリーのようになっていた気がする。
何かに追い立てられていた。
自分は何もない
何もできない。
価値がないから
人一倍努力しなければ
幸せになれない、というような
暗示にでもかかっているかのようだった。
次男が泣くと長男も泣く
というこだわりができたのは
次男が生まれて半年くらいたった頃からだったろうか。
私はそれをなんとかやめさせようと
あの手この手を尽くした。
当時来ていただいていた
ABAコンサルタントにも相談し
反応しない 消去
が一番有効な手立てだとはわかっていた。
それでも、どうしても
「やめて!」
と叫ぶ自分を止められなかったのだ。
叫べば叫ぶほど
長男のこだわりは強固なものになった。
泣く
を通り越し
彼もまた、叫ぶようになった。
そして
私は長男に手をあげるようになった。
その頃、私の住む地域で痛ましい事件が起きた。
幼い姉妹が母親に命を奪われたのだった。
テレビでは、連日その話題が流れていた。
私は、
その母親は私だ
と思った。
私がしていることは虐待だ。
私は育児ノイローゼだ。
そう思って
精神科にかからなければ、と思ったのだった。
ぼちぼち続く。
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