【大人ADHD】超不注意!雨野千晴のうっかり女子でもちゃっかり生きるブログ

36歳でADHD(ADD)診断を受けたうっかり女子雨野千晴の脳内多動な日々や爆笑自閉っ子子育てについておもしろおかしく綴っています♪うっかり女子でも大丈夫♪

障害者への差別撤退!と声高に叫ぶよりも大切だと私が思っていること。

自閉や麻痺、ダウン症など障害のある方が働く、兵庫県にある作業所、あぜくら。


ここでこの夏、「新喜劇」の練習が行われており、Eテレの番組、ハートネットTVが取材した様子を本日放送していました。

社会福祉法人 あぜくら福祉会

 

f:id:ukkarijoshi:20170913003439j:image



ここの利用者のお一人は、清掃の仕事をしている際に溢れた水を掃除機で吸い、掃除機が壊れてしまったそうで。w



それも一回ではなく・・・水が溢れていると、とにかく綺麗にしなきゃ!と思って吸ってしまうそうなんですね。






そんな失敗をしてしまったあと。

彼はそのことを落ち込むばかりでなく、笑いに変えたどうだろう、と思い

 

 

その失敗を題材に、台本を書いたそうです。






あぜくら新喜劇の演出は、放送作家の砂川一茂さん。



配役と大まかな流れは決まっていて、あとは基本、役者のアドリブで進んでいきます。


掃除機が壊れたことを裁判にかけられる、という設定で、役者は利用者の方。作業所のスタッフの方も何人かおられて。





「そやな〜懲役3年か!」

と、アドリブで求刑する男性に

「いやいや、あなた弁護人の役です。」


とスタッフが突っ込んだりするw






いきなりステージ中央で倒れこんだかと思えば、

「目立ってる?」とニヤリとする男性。

 

f:id:ukkarijoshi:20170913003709j:plain

www



そんな「新喜劇」の取り組みを始めてから、利用者の方に変化があったのだそうです。







なかなか自分の感情を外に出すことがなかった女性が、スタッフに思いを伝える手紙を書くようになったり



失敗もネタにすれば!そんな思いから

「失敗しても大丈夫」そんな雰囲気も感じられるようになったり。




こだわりがある方の中には
失敗にパニックを起こしてしまう場合もあるんだよね。



それって、程度は違っていても、私たちの中にもあることじゃないかなって思うんだ。

「失敗を恐れる」

 

という思い。

 

 

 



失敗しても大丈夫
どんな自分でもええねん


あぜくら作業所にはそういう雰囲気がある




ナレーションが入っていました。





本番の舞台は、地域の会館でお客様を入れての発表。


f:id:ukkarijoshi:20170913003600j:image

f:id:ukkarijoshi:20170913003612j:image

「新喜劇」と言ってもね、


ギャグはわりかしいい感じに滑ってましたよ 笑

だけど、それすらも、なんだかすごく素敵でした。




「いろんなオチがあってよかった!」


観客のお一人がそんな風にインタビューに答えていました。


f:id:ukkarijoshi:20170913003636j:image

 

 

「障害者差別撤廃!!」みたいな啓発活動も


もちろんそれはそれで意味があるのだろうけど

 

 


そういうんじゃなくてさ。



こんな風に、楽しみながら、みんなが触れ合える機会があったらいいよね。



それは、


障害のある人だって自分と同じ




からスタートするんじゃなくて

 

 


こんなのもあるんだ! 

そんなんもアリなんだ!


すごいなー面白いなー

って



違いを感じるところから。


障害も人種も文化も


そもそも人間は全員、一人ひとり「違う」という大前提を無視して

「同じですーっっ!!」


って叫んでいくことには無理があるんだよね。

 



違ってることって、ダメじゃないんだよ。

 

 


だって、全員が違っているんだから。障害の有無に関係なくね。

だからこそ、面白い。

だからこそ、豊かである。



で、その先に

 

みんなみんな

それぞれに価値観を持っていて、今日この時を生きているという「同じ」があるんだと思うんだ。

 

 

 

 f:id:ukkarijoshi:20170913015841j:image

 



同じ番組で別日に放送していた、ダンサーREIKOさんの取材も、とっても良かったです。

以下、番組感想を投稿した私のフェイスブック記事より。


◆◆◆◆◆◆

 

 

【伝える、伝わる想い。】

ダンサーREIKOさんのお母様は
耳が聞こえない。


ご両親共に聴覚障害があるのだそう。

 

幼かった頃
母に想いを伝えようと
全身で表現した。

 

「手話を覚えた」
という自覚はなかった。

 

相手の目を見て、顔を見て
全力で想いを表現する。

 

それがスタンダードだった。
そうでなきゃ、伝わらなかった。

 

聴力に問題のない方と
口話でコミュニケーションを
取るときの方が

 

もっと伝えられたんじゃないかと
思うことがあるという。

ダンスで、全身で表現する

 

そこに耳が聞こえるかどうかは
関係ない。

 

2020年パラリンピック
みんなごちゃまぜになって踊りたい

 

そう話すREIKOさんの振り付けした
手話を取り入れたダンスが秀逸。

歌詞も素敵です。

・・・

 

得意なこと
苦手なこと

みんな違うから

たくさんの星たちが
輝くんだ

何度失敗したとしても
逃げ出しても

次があるさ

恥ずかしくないさ

 

#ハートネットTV
#Eテレが好き



f:id:ukkarijoshi:20170913001315j:plain

 


REIKOさんのダンス動画はこちらから見られます^^

↓ ↓ ↓

NHK福祉ポータル ハートネット

 

 

 

 


この投稿にね、手話通訳のお仕事をされている方からコメントをいただいて。




手話ソングやダンスはろう者にはリズムとかわからないから意味がないって思っていたけど、


REIKOさんの動画を見て、表現方法に自由に手話を使ってもいいのかもな楽しむための手話もあってもいいなって思えた



そんな風にお言葉をいただきました。




本当だね。^^



正解は、一つじゃない。

いろんな形があって、いいね。




コミュニケーションのスタイルだって人それぞれ。


「違う」の土台があれば、「同じ」も見えてくる。

 

 

 



同じ投稿に、

 


子どもの頃お友達の家に遊びに行った時、その子のお母様に聴覚障害があられた。

はじめは戸惑ったけれど、友人とお母様が手話で親子げんかをしているのを見て「うちと同じなんだな。」と思った


というご自分の経験をシェアくださった方もおられました。



 

 

 

 

みんな違って、みんないい


という言葉は


本当に真理であるなぁ、と感じる今日この頃。





 

 ポチッとお願いいたします♪

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村


発達障害ランキング