【大人ADHD】超不注意!雨野千晴のうっかり女子でもちゃっかり生きるブログ

36歳でADHD(ADD)診断を受けたうっかり女子雨野千晴の脳内多動な日々や爆笑自閉っ子子育てについておもしろおかしく綴っています♪うっかり女子でも大丈夫♪

大人ADHDの診断3 カウンセリングで答えがもらえると思っていた私。

市内にはいくつか精神科があったのだけれど

 

私はカウンセリングをやっている病院を探して予約をした。

 

 

 

 

 

心理カウンセリングというものをそのとき私は受けたことがなかったのだけれど

 

 

 

 

私の状態には医師の診察ではなく

 

カウンセリングが必要なんじゃないかと漠然と思っていたのだ。

 

 

 

 

 

もちろん子どものことは、精神科へ行くと決めた一番の要因だったのだけれど

 

その前から、実は一度自分は精神科へかかった方が良いのではないか、と思っていた。

 

 

 

 

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私は子どもの頃からずっと不安を感じていた。

 

 

 

わりと前に出たり、発表したり、集団の中で目立つ方ではあったのだけれど

 

 

 

 

自分には友達は1人もいない

 

自分なんか誰も好きになってくれない

 

 

 

 

と思っていた。

 

 

 

 

 

中学校では

 

学級会で空気が読めない発言をして

 

いわゆるヒエラルキーのトップにいた攻撃性のあるお子さんに徹底的にいじめられた。

 

 

 

 

それでも、学校には通っていた。

 

通わないという選択肢があるということさえ気づかなかった。

 

 

 

 

 

土日は起きられなくて

 

朝から晩までベッドの中からテレビを見ていた。

 

 

一日中、教育テレビを付けっぱなしにしていた。

 

 

今、こんなにもEテレが好きなのは

 

あの時の自分と通じることができるような気がどこかでしているからなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

そのときの記憶って、なんだかモヤがかかったようなのだけれど

 

いじめられている

 

というのは

 

家族にも言わなかった気がする。

 

 

 

 

朝から晩までゴロゴロして!と

 

祖母は呆れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの頃の自分は鬱状態ではなかったか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「小児鬱」という言葉を大人になってから知って

 

そんなふうに思うようになった。

 

 

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高校、大学と進学し

 

大好きな友人ができ

 

バカなことをして、笑って過ごす時間や

 

彼氏ができてめちゃくちゃそこに依存したり

 

それなりに楽しい青春を過ごしたな、と思っている。

 

 

 

 

 

だけどいつも、心の奥に

 

鉛のようなものを感じていた。

 

 

 

 

 

 

その鉛は、正体がわからないだけに

 

言い知れぬ大きな不安感となって

 

しばしば私を襲ってきた。

 

 

 

 

 

悩みのタネとか

 

原因が思い当たらないからこそ

 

この不安感は一生続くのかもしれないという

 

絶望にも似た思いを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

心から、笑えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

カウンセリングの勉強を始めてから

 

 

それは家族に父のことを聞かなかった、聞けなかったところに起因しているのかもしれない

 

と思い至ったが

 

それまでは

 

ただただ正体不明の不安感が後から後から湧いてくるような状態だったのだ。

 

 

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常に、人から認められたいと思っていた。

 

 

人からの賞賛こそが、自分の価値と結びついていると思ったいた。

 

 

 

 

 

感情の揺れが大きくて

 

職場でも突然泣き出したり

 

過呼吸になったりしていた。

 

 

 

 

 

 

 

だから、子どものことがある前から

 

いつか精神科にかかった方がいいんじゃないか

 

そうすれば楽になれるんじゃないか

 

と思っていた。

 

 

 

そうして

 

 

カウンセリングの予約をして

 

 

初めての通院日。

 

 

 

 

 

 

 

なんと私は、自分がどこの病院に予約を入れたのかわからなくなってしまった。

 

 

もともと、そんなうっかりミスばかりの人生だけれど

 

 

よほど参っていたのだと思う。

 

 

私は予約もしていない全然違う病院で受付をしようとして

 

「ご予約いただいていません」

 

と言われたのだ。

 

 

もしかして勘違いされてるのでは、と

 

 

親切な受付の方が近くの病院にいくつか問い合わせてくださって

 

 

なんとか私の予約した心療内科が判明した。

 

 

 

 

 

 

 

動揺のあまり、ただでさえ道に迷う私は

 

そこから徒歩5分ほどの道のりをどうしてもたどり着けず

 

ほとんど泣きそうになりながら、同じ場所をぐるぐるぐるぐる回っていた。

 

 

 

 

 

 

そのうちに

 

心配してくださった受付の方が迎えにきてくださったのだった。

 

 

 

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その心療内科は、私が想像していた精神科像とは全然違っていて

 

明るい雰囲気で

 

どう見ても精神的に抱えているものがあるとは思えないような人々が患者として来院していた。

 

 

 

 

 

 

どう見ても、なんて

 

よくそんなこと思ったよなぁ

 

と今は思うのだけれど

 

そのときは本当に、そう思ったのだ。

 

 

 

 

1つ席を置いた向こうに座る親子は

 

楽しそうに談笑なんかしていた。

 

 

 

 

もちろん、何もなければ心療内科にわざわざこない。

 

今ならそんな当たり前のこと、と思うのだけれど

 

 

そのときはとにかく、ただただ不思議だった。

 

 

そして、もっと早く、気軽に来てみれば良かったな、と思った。

 

 

 

 

 

 

名前を呼ばれて通された、ソファのある小さな部屋。

 

そこに待っていたのは、若くて可愛らしい女性の心理士の方だった。

 

 

私の書き込んだカウンセリングシートを見ながら

 

私の訴えをじっくりと聞いてくださった。

 

 

50分、5000円のカウンセリング。

 

当時の私にとっては、自分の心の悩みにそんなにお金をかけるなんて、という思いもあったのだが

 

 

それでもなんとかここから抜け出したい

 

という思いで

 

1ヶ月に一度、通うことに決めた。

 

 

 

 

 

その後、家族構成や子ども時代のこと、中学校、高校、大学と

 

 

数回にわけて、私の過去の話を

 

ときに質問されながら

 

話していくことになった。

 

 

どう思いますか?

 

 

何回か聞かれたような気がする。

 

 

私が何か質問をして

 

 

雨野さんはどう思う?と

 

聞かれたのかもしれない。

 

 

 

 

 

数回通って、なんだか私は拍子抜けしてしまった。

 

 

カウンセリングって、何かアドバイスをくれたり、方法論みたいなものを教えてくれたりはしないのか、と。

 

 

 

 

 

 

今思えば、その心理士はしっかりと傾聴してくださったのであり、だからこそ色んな話が私の中から出てきたのだけれど

 

 

 

そのときはそんなこと、全く知らなかったしわからなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

そして、何回目のカウンセリングだったか

 

 

一度医師の診察を受けて、今後の方針を決めようということになった。

 

 

 

 

ぼちぼち続く。