【大人ADHD】超不注意!雨野千晴のうっかり女子でもちゃっかり生きるブログ

36歳でADHD(ADD)診断を受けたうっかり女子雨野千晴の脳内多動な日々や爆笑自閉っ子子育てについておもしろおかしく綴っています♪うっかり女子でも大丈夫♪

あわや帰省の日にちを間違えるところだったギリギリガールなわたくし、ただいま荷造り中。

夏休み、ご実家に帰省される方も多いかなぁと思います。

 

わたくし、例のごとくギリギリガールぶりを発揮して

 

明日飛行機で札幌に帰るのに、今荷造りしておりますwww

 

そして今からうっかりママ新聞を書き

 

厚木市内&うっかり女子文化祭ご協賛者のみ配布)

 

ますみちゃんのプロフィールストーリーたたき台もまとめたいところ。

 

 

あー札幌行くの、なんかしらん明後日だと思ってたしwww

 

 

(°▽°)

 

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祭りにいってる場合ではなかったorz

 

 

 

 

さてさて、帰省すると

 

ついつい親ともめちゃう

 

 

なんて方もおられるのでは?^ ^

 

親子って、関係が近いから

 

良かれと思ってのアドバイス

 

心配からの余計な一言や

 

心にいろんなザワつきを感じることもあると思うんだけどさ。

 

ちょっと前まで、私はそうだったのね。

 

 

最近の私は

 

帰省して祖母の話をきくのが

 

楽しみでもあります^ ^

 

以下、昨年の記事。

 

何かみなさんのヒントになれば幸いです♪

 

 

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★★★

 

2016年8月17日記載

 

 

 

 


帰省すると、祖母の話を聞くのが数年前から恒例になっていて。

 

 

ずいぶん昔の話、


子育てしていた頃のこと

茶道の師範をするに至るまでのドタバタおもしろ話や

祖母の母、父の話

介護の話

 


そんな、祖母の物語を聞くこと。

 


それが恒例になり始めた頃、私はまだカウンセリングもやっていなくて

 


ただただ、祖母の記憶の中の物語に引き込まれるように

話を聞いていた。

 

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そんな聞き方でも、祖母は一時間も二時間も話して


楽しそうにしてくれていた。

 

 

 

そんな話達の中から

 


なんで祖母は頑なに公務員を勧めるのか

「貧すれば鈍する」が座右の銘なのか

 

 

色々なことが見えてきた気がしていた。

 

 

 

 


そして、今回の帰省での話は、めずらしく昔語りでなく


つい先日の出来ごとについてだった。

 

 

今週末、私の従妹(祖母の次女の子)が結婚する。

 

 


その式に、祖母の長男(私の叔父)が仕事の都合で出席できないらしく

 

 

そのことについての話だったのだ。

 

 


いろんな人間関係、体裁、親戚付き合い、冠婚葬祭の大切さ。

 

 

 


そんな話が出たのだけれど

 

 

 

話をきいていて、根底にある、祖母の思いはひとつなのだと思った。

 

 

 

 


息子への愛。

 

 

 

 


仕事のこと、家族のこと、いつも優しい笑顔で心を配り、身を粉にしている叔父さん。

 

 


叔父さんのことが、ただただ愛しく、心配であるのだ。

 

 


私にはそう聞こえた。

 

 

 

それで私は、一昨年の帰省時に祖母から聞いた話を、祖母に返すことにした。

 

 

 

 


祖父は若い頃に田舎の学校で校長になり、異動になる度に、一家はその土地の教員住宅に移り住む生活だった。

 


北海道の田舎の教員住宅って、一戸建て。

 


回りには家もなく、一緒に遊べるような子どももいない。

 

祖父が若い頃は、そんな地域で何年も勤務していたこともあった。

 

 

叔父さんは祖母の三人いる子どもの末っ子で

 

上の姉二人が学校に行ってしまえば、就学前の叔父には遊び相手もいない。

 

 


それで祖母は、マットレスを部屋にしいて

毎日のように、叔父とプロレスごっこをしたのだそうだ。

 

 


そのマットレスがしまいにはクタクタになるほどに。

 

 

祖母はいつだって全力の人だから


末っ子の叔父さんと、体当たりで遊んだのだろう。

 


二十歳で一人目の子どもを出産した祖母。


田舎を転々として、義理の両親の世話をしながら、介護もして、自分も大きな病気をして

 

そんな中でも全力で楽しみながら子育てしてきた。

 

 


子どもたちの幸せを願うあまりに

コントロールが強かったのであろうことは、私も祖母に育てられたようなものだから、よくわかる。

 

 

でも

 

 

今みたいに、簡単に情報が入るでもない世の中で


大家族をきりもりしながら


お金のトラブルで追い詰められていった人を身近で見ながら


若くして生んだ子ども三人を守っていく

自立させていくという目標の中で

 

 


それは祖母の最大限の愛情表現だったのだと思う。

 

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だから、私はこの話を祖母に返した。

 


「おばあちゃん、前に叔父さんが小さかったとき、マットレスがクタクタになるまで遊んだ話、してくれたね。

 

介護しながら、自分も体調を崩しながら、それでもそんなふうに愛情いっぱいに育てた叔父さんがさぁ。


いつもみんなに優しい叔父さんが。


『貧すれば鈍する』だと思う?」

 

 


そして

 

式の出席についてでなくて

 

自分がただ心配なのだということを


叔父に伝えるのはどうだろう

 

 

 

本当に思っていることを率直に伝えることは

 

そんなに悪い結果を生むものではないんじゃないかな、

 

 

というような話を

 

させてもらった。

 

 

 

心配なのは、それだけ叔父を愛してるからだよね、という話を。

 

 

 

祖母はねぇ。

 


とても心の強い人だから、めったに泣いたりしない。

 

 

 

だけどそのとき、涙を流して

 

 


ありがとうって言ってくれたんだ。

 

 

 

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子どもの頃から私に対しても、全力で接してくれた祖母。

 

いつも学校から帰ってくると、祖母がおにぎりや、ふかし芋や、おいしいおやつを作ってまっていてくれた。

 

 

一緒にバドミントンしたり、まりつきをしたり、遊んでくれた。

 


教員採用試験の二次ボイコットして、口も聞いてくれなくなって

 

 

でも、ガラス工房に就職して

小樽で一人暮らしする私に

 

こっそり手紙とお金を送ってくれた。

 


ガラスの展示会をしたとき

コンテストで入選したとき

 

遠くまで、足を運んでくれた。

 

 

 


そんなふうにして、今まで祖母がかけてくれた愛情に

 

 

もしかしたら私はこの日、少しでも報いることができたのかもしれない。

 

 

 

 

以前はことあるごとに、「それは違う!」とジャッジしながら祖母に対していた自分。

 


でも、今はわかる気がするんだ。

 


祖母の真実は、祖母が85年かけて生きてきた中でつかんできた物の中にあるということが。

 

その経験、価値観は、誰にも侵すことなんてできないんだということが。

 

私と祖母の価値観は、違っていてもいい。

 


そして私は、その価値観を、心の底から尊重したいと思った。

 


その一方でね。

 


そんなふうに思っていたら

 

 


祖母は

「でもね。もう子どもの人生に介入しないということは決めているの。」

と話してくれたんだ。

 

 


介入することが愛であった祖母が

 

そんなふうに言うのを聞いて

 

 

私はなんだか恥ずかしかった。

 

 

祖母のスタンスは、一生変わらないと思っていたから。

 

でも、そうじゃない。


人は、何歳からでも変われるんだ。

 


人生が続く限り。

 


祖母は今もなお、人生の経験を積み重ね続けている。

 

 


85年生きてなお、しなやかに前を向いて生きている。

 

 


私はそんな85歳になれるだろうか。

 

 

なりたいな、と思った。

 

 

 

★★★

 

 

家族でも一人一人

 

価値観は違っている。

 

擦り合わせることも大事だけど

 

違っていても、いいんじゃないかって私は思います^ ^

 

そして、この人の奥にある何がそうさせてるのかなぁっていう視点を

 

ちょっと持ちながらお話をきいてみるのもいいかもしれないね。

 

 

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今回の帰省では

 

どんな話がきけるかな。

 

お帰りになられる皆様も

 

お気をつけて❤️