【大人ADHD】超不注意!雨野千晴のうっかり女子でもちゃっかり生きるブログ

36歳でADHD(ADD)診断を受けたうっかり女子雨野千晴の脳内多動な日々や爆笑自閉っ子子育てについておもしろおかしく綴っています♪うっかり女子でも大丈夫♪

大人ADHDの診断5 ADHDうっかり女子な私が教員やって鬱になりますた。

さて

私は地味にカウンセラーをやっております。

もともとはそれを仕事にしようと思ってたんだけど

世の中の私のニーズはそこに無いらしくwww





それよりも、面白イベント企画だったり、文章や発信についての講座だったり、プロフィール作成だったり

そっちの方が現在主の活動となっています。

 

 


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あ、これ一応発信講座のフォローアップ会ね。www

 

 




とはいえ、地味にカウンセリングもやっておるわけです。



1年間ボランティアでさせていただいていたカウンセリングやセッションを入れると

120名以上のお話をおききしてきました。





ジャッジなく、相手の鏡としてお話をおききすると、面白いことが起きるんだけどさ。



クライアントの話って、展開していくんですね。



どういうことかというとね、話始めと終わりが全然違うことになってたりする。




これは、文章を書くときとちょっと似ていると思っていて。

 


ゴールを決めずに「今気になっていること」から書き始めるとするでしょ。


そうやって、どんどん書きながら自分の世界に入っていくと


始めの題目と全然違う、結構深いところに辿り着いたりする。

 




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それってセルフカウンセリングの効果があるよねーと私は思ってるんだけどね。

 






カウンセラーとクライアントとの間に信頼関係が成立していると

自己開示してくださっているクライアントの話というのは、

 

始めの「気になっていること」からどんどん展開して行って、別の着地点を見る場合も多いのね。



心療内科でのカウンセリングで、まさに私はそんな状態だったのかなぁと思う。

 

 

 



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これまでに書いてきたように、私がカウンセリングを受けに来た理由は

 

「子どもにイライラする、手を上げてしまう」

 

っていうことだったのね。それが主訴。





でも、何度かカウンセリングを受けるうちに話はどんどん展開して行って



行き着いたところは


自分のADHD傾向についてのことだった。





というかね、本当の本当に私が抱えていた問題というのは

ADHD傾向のことではなくて



そのもっと奥の、「自分はダメな人間なんだ」という想い。



そういう自分には価値がないんだ、と


自分で自分を責めていたこと。




そこにあったかなぁと思うのだけれど



当時は職場で人間関係がうまくいかなかったのは、

 

 


自分のADHD傾向にあるんだって思い込んでたんだよね。

 

 



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さて。

なんでそんな風に思っていたかということについて。

 


そもそもなぜ教員を始めたかというと




大学卒業後、小樽のガラス工房で働いていた私は、ガラスじゃ食ってけねーなと思い

ひとまず教員をやってお金を貯めようと決めて、神奈川で臨時採用の教員を始めたんだ。



「子どもなんか全然好きじゃない」って思ってた自分が

やってみたら、本当に面白くて

元気いっぱいの2年生がかわいくて

授業の技術なんて皆無だったけど、毎日全力で取り組んだ。





学年4クラスを束ねる主任の先生は

学級経営は基本、それぞれの担任に委ねてくださる先生だった。

 

 


でも、肝要なところはガッチリ押さえてくださって

何かあれば責任は私が取る、というような

上司の鏡みたいな方だった。実際には上司じゃなくて同僚だけどさ。



 


私の隣のクラスを担任していた中堅所の先生は

いつも私のことを気にかけてくださった。

 


その上で、いつまでたっても指示待ち人間だった私に

 


「臨時採用とか、1年目とか関係ないと思うんだよね。

 

雨ちゃんももっと自分から意見を言って欲しいし、行動して欲しい。」



って言ってくださった。

 

 

 

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年度終わり、学年全体でのお楽しみイベントをやることが決まっていて。

その企画、運営、実行委員の活動を自分でやってみよう!と立候補できたのは

この先生のおかげだった。






私は今、ADHD脳の企画、発案力を生かして色々なイベントをやりまくっているけれど

大きい集団のイベントを企画して実行するというやりがいを始めて体験したのは、この時だったのかもなぁと思う。




本当はそこ、教員が感じるんじゃダメなんだけどさ。子どもが主体じゃなきゃね。

と、それはそれとして。





先生方のおかげで、失敗はありながらも全力疾走した一年間だった。


 


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教員って思ってたより楽しいな。

 

そんなふうに思った私は、教員採用試験を受け、次の年から正規採用として別の学校に赴任した。



私は昔からテストで点を取るのが得意だったのだ。短期集中で丸暗記し、テストが終わった瞬間に全てを忘れる。w




面接も得意だった。面接官の前に立つと、なんだかうまいことをそれらしく話す技術に長けていた。

 


だから私はバイトなんかの面接って、落ちたことが一度もないのだ。


それで、入って方苦労するタイプ。





採用に受かって初任の年は良かった。

 

なぜなら、初任者指導の教官が付くから。




先輩教師に授業を見せていただくのに、スケジュール間違ってすっぽかしそうになったり

重要書類に印鑑忘れて取りに帰ったりwww

 


色々やらかしてはいたけれど、フォローしてくださる心強い教官がいたから割と周りの人にバレてなかったのだ。




そして、

私は子どもの長所を見とること、クラスの関係性を作ることは得意だった。得意というか、関心があった。

 


なので、ソーシャルスキルトレーニングのワークとか、構成的エンカウンターグループのワークとか、

 

そんなんを学級活動や道徳の中でやるのが大好きだった。



私の指導教官は、本当に素晴らしい先生で一斉授業も学級経営もめちゃくちゃ素晴らしい方だったので、

 

先生が教えてくださる通りにやったら、授業もそこそこいけるようになった。

 


というか、授業や教材の研究をすることが面白くてしょうがなくなった。

 

自分の問いかけ一つで、話し方のトーン一つで子どもたちの反応がこんなに変わるのかと思った。





この教官は私が褒めて伸びるタイプで打たれ弱いと見てとって下さり、

職員室でしょっちゅう私のことを褒めてくださったので、先生方の間に「雨野先生は仕事ができる人」という認識が広がっていった。www


 

 


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確かに、子どもを見とることには割と自信があった。

でも、教員の仕事ってそれだけじゃない。

 


初任の時には免除されていた業務も、2年目からはやらなければいけない。





そして2年目からは、指導教官はいないのだ。




「雨野先生は仕事ができるらしい」

という超絶間違った認識を職員室の皆様方が持たれている中

 


私の教員生活3年目は始まった。





ぼちぼち続く。







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記名はありませんが、私の書いた記事です💖

 

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