大人ADHDの診断11 管理職との面談に思う、自分で自分を認められるようになる方法
支援学校へ異動願いを出そうかな、とか
いっそこのまま辞めてしまおうかな、とか
どうにかどこかに逃げられないか考えた末に
↓当時辞めたい思いを書いたブログ用挿絵www
(笑)
自分のダメなところ、できないところを開示して復帰する
という選択をすることに決めた私。
それで。
復職に向けて
通院していた心療内科のカウンセラーの先生と一緒に、自分のうっかりをフォローするための具体的な手立てを考えました。
先生がご提案くださったものは、例えば
大事なもの入れを首から下げる
これ↓
それから、
スケジュール表を小さくしたものを首から下げる
とにかく首から下げる。(笑)
いや、ほかにもあったと思うんだけど、今思い出せるのはそれだけwww
( ´∀`)
先生にお聞きしたわけじゃないからわからないんだけど、こうやって先生といろいろ工夫を検討した時間は
実際に困り感を軽減する意味のほかに
一緒に手立てを考えて、自分で選んだものを復職に備えて準備する
その行為自体に意味があったんじゃないかなぁと
今振り返って思います。
職場に開示しようと決められたのは
ハルやたくさんの価値観との出会いと共に
先生にカウンセリングしていただいたこともやっぱり大きかったんじゃないかなって思うんです。
その時は気づかなかったけどね。
2016年春の復職に向けて
その前年、2015年5月
新しく就任された管理職(校長と教頭)へ、あいさつに行きました。
私が恐れおののいていた(笑)主任はすでに異動し
他の先生方も半分以上は変わっていて。
教頭、校長も育休前とは別の方が就任されたんです。
でもね、実は私、新しい教頭先生のことは前から知ってて。
私が初任者だったときに教育委員会におられて、研修を担当されてたのね。
その研修がねぇ。
この耳滑り妖怪、人の話聞けない私が思わず聞き入って質問までしにいっちゃうというw
在り方も立ち振る舞いも講義の内容も本当に素晴らしい先生だったんです。
そして、委員会におられた時には特別支援関係の担当をされていて。
だから、教頭先生にも自分のこと、話せたらいいなって思っていました。
なんだけど
そんな素敵な先生がおられるとわかっていても
前日は緊張で、全然眠れませんでした。
あの建物に行く、というだけでも当時の自分には恐怖だったんだよね。
それを、自分のできないを開示
なんてできるのだろうかと思ったよね。
でも
それでもなんでも、やるしかない。
できない自分のまま、それを隠さずに復職するって決めたんだから。
とにかく、自分の注意欠如なところや、働いていた頃の失敗を率直にお話ししようと思って
緊張して話す内容忘れちゃわないように、棒読みでも読めば話せるように、文章に書いて準備しました。
そして当日
吐きそうになりながらお約束の時間に勤務校につくと
ちょうど校長は席を外しておられて。
運よく教頭先生がいらっしゃいました。
お久しぶりです、と
一緒に職員室の窓から校庭を眺めながら
子どものことを話したり、最近の学校の様子なんかを聞かせていただいたりしました。
私はいつ本題に入ろうかとドキドキしながら
なかなか言い出せずにいたのだけれど。
今を逃したら話せなくなる、と思って
「教頭先生、ご相談したいことがあるのですが、校長先生が来られる前に少しお時間いいですか?」
と切り出しました。
そして、昨日忘れないように何回も鞄に入っているのを確認した、あのメモを見ながら
育休前に失敗だらけだった自分について、お話させてもらったのでした。
そのミスの詳細や
同僚の先生とうまくいかなくなったことや
子どもの発達障害について、特別支援教育の免許をとったり、勉強したりする中で
自分がADDタイプであると気づいたこと。
復職に向けて、心療内科でカウンセリングをうけ、具体的な対応策をたてている最中であること。
自分の欠点をカバーできるよう毎日を積み重ねていることや、
自分の特性を加味した上で、いただけるポジションがあるのなら、全力で取り組んで行きたいと思っていること。
そして、今度は自分のできないこと、苦手なことを隠さずにみなさんにお伝えして
助けていただきながら、できることをやっていこうと思っている
ということを。
私は忘れ物が多いので、首からケースをぶら下げておこうと思います
これ下げようと思ってるんです
って、見せながら。
そしたらねぇ、
ずっと、うんうん、と私の話を聞いてくださっていた教頭先生は
こうおっしゃったんです。
「先生。自分が自分の特性を知っていればね。
『雨野先生は物を忘れやすいんだな』
『あんなふうに工夫をしてるんだな。』
ってみんなに伝えて
みんなに知ってもらえれば、それで大丈夫。
みんなでフォローし合ってやっていこうよ。
大丈夫大丈夫。」
大丈夫
って、
何回も何回も言ってくださったんだ。
これ、今書いていてね。
ずいぶん昔のことのようにも感じるのだけど
その場面のこと
教頭先生の「大丈夫」の声
優しい笑顔がありありと思い出せる。
私が今、「うっかり女子でも大丈夫」って心の底から発信できているのは
こんなふうにたくさんの「大丈夫」を自分がいただいてきたからなんだね。
で、
そんなふうに温かいお言葉をかけていただいて
緊張で張りつめていた私は
どっと力が抜けて
なんだか泣きそうになってしまいました。
さて、その後現れた校長先生にも、同じお話をさせてもらったのですが。
このときはじめてお目にかかった校長先生は、とても率直なお話のされ方で
めっちゃ仕事できるんだろうなこの人・・・頭の回転速いんだろうなぁ~という雰囲気がありながらも
なんだかあったかい感じの方で。
一連の私のうっかり話を聞いて
「そりゃーひどいね!爆」と
終始爆笑しておられましたwww
そしてね。
そうやって私の話を聞いてくださったあと、
「自分の特性について、自分で認識できさえすれば、手だてはいくらだってあるのだから。その気付きは大きいよ。」
と言葉をかけてくださいました。
この後復職してわかるのだけれど
校長先生は、本当に職員思い、子ども思いの方で。
そして率直で、正直で、嘘がつけない方なんだよね。
だからこそ、お言葉が本当に心に響く。
私は先生方の温かいお言葉かけに、本当に本当に、涙が出るくらいうれしかったです。
私がこの数年間、もがき苦しんできたことに
あたたかい言葉をかけていただけたこと。
大丈夫って言っていただいたこと。
あのとき、勇気を出して本当の自分について話してよかった。
それを聞いてくださったのが
このお二人で本当によかったなぁって思っています。
あの、校長室でいただいたお二人の笑顔
「大丈夫」のお言葉がけ
私は一生忘れない。
自分全出しで行こう。
うっかりミスの多い
道の覚えられない
遅刻もあるある
お金も数えられない
つーか普通に数も数えられない
鍵も無くす
人の名前が覚えられない
そんな、自分。
教員としてありえない要素ばっかりの
失敗ばかりの私。
でも、それが私なんだよね。
そんな自分を自分で認めてあげるには、
そういう自分を隠そうとしないこと。
困ったときは、助けてって言うこと。
かっこつけて、仕事のできる自分を装っても、苦しくなるだけだから。
そんなふうに苦しくなるのは、周りに認めてもらえないからじゃない。
そんな自分を自分で認めていないからだったんだよね。
自分じゃない誰かになろうとしていたからなんだよね。
だから
それをまず、やめようと思ったんだ。
そして
その一歩踏み出す背中を押してくださったのは、校長先生と教頭先生だったと思っている。
さて。
このとき私は、2016年度に育児短時間勤務で週3日の勤務希望を出していたので
その条件だと担任を持つのは難しいだろうから、教科担任かもしれない、というようなお話をいただいていました。
で、
与えられたポジションを全力でやるしかないと思っているけれど、いろんなクラスに入るのは無理かもしれないってことはお伝えしたのね。
名前覚えられないし、スケジュール把握できないから。
でね。
2016年4月
大丈夫をくださった管理職の決定により
私がいただいたポジション。
4年の図工、5年の理科、書写、6年1クラス分の図工。
全部で
6クラス200人弱←名前覚えられない
orz
そんで
学籍と←超絶間違えられない無くせない書類多数系
避難訓練と←うっかりしたらシャレにならない系
給食費←うっかりしたら給食食べられない人出ちゃう
っていう
わりと失敗できない校務分掌が割り振られたwww
というのは、また別のお話。( ゚▽゚)
続く。
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